固定概念を打ち破るデザイン思考:大手企業が地域高齢者の孤立を解消し、持続可能なコミュニティを再構築した実践事例
導入:社会課題としての高齢者の孤立と革新への挑戦
現代社会において、高齢化は多くの国で共通する喫緊の社会課題であり、特に都市部では地域コミュニティの希薄化に伴い、高齢者の孤立が深刻化しています。従来のこの問題へのアプローチは、行政による福祉サービスやボランティア活動に依存する傾向が強く、その限界も指摘されてきました。支援が受け身になりがちであったり、多様化するニーズに対応しきれていなかったりする現状があることは否めません。
大手企業の新規事業開発に携わる皆様の中には、こうした社会課題に対し、自社のリソースと専門知識を活かして貢献したいという強い意欲をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし同時に、既存の企業文化や意思決定プロセスの中で、革新的な社会課題解決プロジェクトを推進することの難しさ、特にROIの証明や社内承認の獲得に課題を感じているかもしれません。本稿では、そうした固定概念を打ち破り、デザイン思考を核として社会課題解決と事業創出を両立させた、ある大手企業のプロジェクト事例をご紹介します。
プロジェクト概要と背景:テクノロジーとコミュニティの融合を目指して
今回ご紹介するのは、大手テクノロジー企業A社が取り組んだ「地域高齢者の孤立解消とコミュニティ再構築プロジェクト」です。A社はこれまで、主に若年層向けのデジタルサービス開発で実績を上げてきましたが、社会貢献と新たな事業機会の創出を目指し、高齢化社会の課題に注目しました。
従来の高齢者向けサービスは、単なる「見守り」や「安否確認」に重点を置くものが多く、高齢者自身が能動的に社会と関わり、生きがいを感じられるような機会を提供するまでには至っていないという課題がありました。また、「テクノロジーは高齢者には難しい」という固定概念から、デジタルツールを用いたアプローチを躊躇する企業も少なくありませんでした。A社は、この固定概念を打ち破り、高齢者が主体的に参加できるようなデジタルとアナログを融合した新しいコミュニティプラットフォームの構築を目指したのです。
デザイン思考によるアプローチ:共感から生まれる持続可能な解決策
A社はこのプロジェクトにおいて、デザイン思考の各フェーズを徹底的に適用し、真のユーザーニーズを深掘りしました。
共感(Empathize)
プロジェクトの初期段階で最も重視されたのは、現場での徹底したヒアリングと行動観察でした。研究者や医療関係者といった専門家だけでなく、実際に孤立を感じている高齢者本人、その家族、地域で活動する民生委員や商店主など、多様なステークホルダーに深層インタビューを実施しました。
このフェーズで明らかになったのは、「助けてほしい」というニーズ以上に、「まだまだ社会に貢献したい」「誰かの役に立ちたい」「新しいことに挑戦したい」といった、高齢者の潜在的な「役割欲求」と「自己実現欲求」でした。また、デジタルデバイドだけでなく、身体的な移動の制約や、新しいコミュニティへの参加に対する心理的なハードルも重要な課題として浮上しました。
定義(Define)
共感フェーズで得られた洞察に基づき、A社は複数のペルソナを設定しました。例えば、「デジタルツールに抵抗があるが、外出意欲は高い高齢者」「趣味の活動は継続しているものの、新たな繋がりを求めている高齢者」などです。それぞれのペルソナについて、彼らが日常で感じる孤立のポイントや、コミュニティに参加する上での障壁を可視化するジャーニーマップを作成しました。
その結果、単に情報を提供するだけでなく、「高齢者が地域に貢献し、他者と繋がり、生きがいを感じられる仕組み」そのものが不足しているという、本質的な課題を明確に定義することができました。
発想(Ideate)
この定義された課題に対し、A社は社内外から多様な専門家を招き、異業種間のアイデアソンを実施しました。医療、教育、交通、小売など、一見関係なさそうな分野からの視点を取り入れることで、「テクノロジー=デジタルデバイス」という固定概念を超えたアイデアが生まれました。
例えば、「高齢者自身がイベントを企画・運営する役割を担う」「地域の空きスペースを活用した交流拠点とデジタルプラットフォームを連携させる」「AIが個人の興味関心に基づき活動をレコメンドする」といった斬新なアイデアが創出されました。特に「高齢者を単なるサービス利用者ではなく、コミュニティのプロデューサーと位置づける」という着想は、プロジェクトの核となりました。
プロトタイプ(Prototype)
発想されたアイデアの中から、実現可能性とインパクトの大きいものを厳選し、迅速なプロトタイプ開発に着手しました。最初に開発されたのは、スマートフォンアプリのミニマムバイアブルプロダクト(MVP)です。これは、シンプルなメッセージ機能、地域のイベント情報共有、およびオンライン相談窓口に特化したものでした。
同時に、オフラインの交流拠点として、地域の空き店舗を改修した「地域共創カフェ」を複数開設しました。ここでは、アプリの操作をサポートするだけでなく、高齢者自身が企画する趣味のワークショップや、地域の子どもたちとの交流イベントが開催されました。
テスト(Test)
MVPアプリと地域共創カフェは、対象となる高齢者の方々に実際に利用してもらい、継続的にフィードバックを収集しました。ユーザーテストでは、アイトラッキング技術を用いてUI/UXの改善点を詳細に分析したり、グループインタビューで率直な意見を引き出したりしました。
このテストフェーズで、「直感的に使えるシンプルなUI/UX」「音声入力機能の強化」「対面でのきめ細やかなサポート体制」の重要性が改めて確認されました。これらのフィードバックを元に、アプリは毎週のように改善が加えられ、カフェの運営方法も最適化されていきました。
直面した課題と克服:社内と社会の壁を越える
プロジェクト推進中、A社はいくつかの大きな課題に直面しました。
社内抵抗とROIの証明
新規事業開発部門からは、「既存事業とのシナジーが見えにくい」「社会的意義は理解できるが、具体的なROIが見えにくい」といった声が上がりました。これに対し、プロジェクトチームは初期段階からNPOや地方自治体との連携を強化し、共同で社会的なインパクトを定量化する取り組みを行いました。
MVPフェーズで得られた利用者データ(アプリの利用頻度、イベント参加率、交流投稿数など)を基に、参加者の孤立度合いの変化を独自指標で可視化しました。さらに、孤立解消による「医療費削減効果」や「地域経済への消費波及効果」といった間接的なROIを試算し、経営層に対し、単なるコストではなく未来への投資であることを粘り強く説明しました。また、プロジェクトを通じて得られる高齢者層のデータが、将来的な他事業展開に資する可能性も提示しました。
限られたリソースでの効果出し
専門部署の人員不足や、初期予算の制約も課題でした。これを克服するため、A社は社内公募によるボランティア制度を導入し、多様な部署から熱意ある従業員がプロジェクトに参加しました。営業、マーケティング、開発、デザインなど、様々なバックグラウンドを持つメンバーが横断的に関わることで、新たな知見が共有され、リソースの有効活用が図られました。
また、既存のデータセンターやカスタマーサポートの一部インフラを段階的に活用することで、初期投資を抑制し、限られた予算の中でもMVPを迅速に市場投入することを可能にしました。
高齢者のデジタルデバイド
スマートフォンやタブレット操作に不慣れな高齢者層への対応は、予期せぬ制約の一つでした。この課題に対しては、地域共創カフェを拠点とした定期的な「スマホ教室」開催に加え、地元の高校生や大学生ボランティアと連携した個別サポート体制を構築しました。アプリのUIは極限までシンプルにし、音声入力や大文字表示機能を強化するなど、テクノロジーの側面からも使いやすさを追求しました。
具体的な成果とインパクト:事業価値と社会価値の創出
このプロジェクトは、多岐にわたる具体的な成果と社会的インパクトをもたらしました。
定量的な成果
- プラットフォーム利用者数: 1年で目標の150%を達成し、約5,000人の地域高齢者が積極的に利用するコミュニティへと成長しました。
- イベント参加率: 定期的に開催されるオフラインイベントへの参加率が、プロジェクト開始前に比べ月平均20%向上しました。
- 孤立度指数改善: プロジェクト参加者のうち、独自に定義した「孤立度指数」において30%の参加者で有意な改善が見られました。これにより、精神的な健康状態の向上にも寄与していることが示唆されました。
- 地域経済への貢献: 地域共創カフェでの消費や、高齢者が企画するイベントに関連する地域商店での消費額が、前年比で5%増加し、地域経済の活性化にも繋がりました。
定性的な変化
- ユーザー体験の向上: 参加者からは「生きがいを見つけた」「新しい友人ができて、毎日が楽しい」「デジタルツールに触れることで世界が広がった」といった肯定的な声が多数寄せられました。
- 従業員のエンゲージメント変化: プロジェクトに関わった従業員は、社会貢献への意識が格段に高まり、仕事に対するモチベーションとエンゲージメントが向上しました。これは、従業員の採用・定着にも好影響を与えています。
- 地域コミュニティの活性化: 世代間の交流が活発化し、地域住民が自主的に活動を企画・運営する動きが加速しました。A社は「サービス提供者」から「コミュニティ共創者」としての地位を確立し、企業イメージの向上にも貢献しました。
社内への展開と学び:デザイン思考を企業文化に定着させるヒント
この成功事例は、A社にとって多くの教訓と、デザイン思考を企業文化に定着させるための貴重なヒントをもたらしました。
プロジェクトから得られた教訓
- 「共感」の深掘り: 数値だけでは測れない、人々の感情や潜在的なニーズを深く理解することこそが、革新的なソリューションを生み出す出発点であるという認識が社内で共有されました。
- MVPと反復: 完璧な製品を目指すのではなく、最小限の機能で早期に市場に投入し、ユーザーからのフィードバックを迅速に反映させるアジャイルな開発プロセスが、変化の激しい社会課題解決には不可欠であることが実証されました。
- 社会的意義と事業価値の統合: 社会的課題解決プロジェクトは、単なるCSR活動ではなく、長期的な視点で見れば新たな事業機会と企業価値創出に繋がるという認識が経営層に浸透しました。
デザイン思考を社内プロセスに組み込むためのヒント
大手企業や既存組織でデザイン思考を導入・定着させるためには、以下の点がヒントとなるでしょう。
- トップコミットメントの明確化: 経営層がデザイン思考を用いた社会課題解決を、企業の重要な経営戦略として位置づけ、明確なメッセージを発信することが不可欠です。
- 社内イノベーターの育成とエンパワーメント: デザイン思考ワークショップの定期的な開催や、専門人材の育成プログラムを導入し、現場レベルでアイデア創出と実行を担える人材を増やすことが重要です。既存の枠にとらわれず挑戦できる文化を醸成します。
- 既存事業との戦略的連携: 新規プロジェクトを既存事業と全く切り離すのではなく、既存の技術、顧客基盤、ブランド力を活用できる領域を戦略的に見出すことで、社内承認を得やすくし、リソースの有効活用に繋げることができます。
- 外部パートナーとの積極的な共創: NPO、地方自治体、学術機関、スタートアップなど、多様な外部パートナーとの連携を積極的に推進することで、自社だけでは得られない知見やリソースを補完し、社会全体で課題解決に取り組む姿勢を示すことが可能です。
- 「小さな成功」の可視化と共有: 大規模な成果を待つのではなく、MVPフェーズでの「小さな成功」を早期に特定し、その社会的インパクトと将来的な事業可能性を社内外に積極的に発信することで、賛同者を増やし、プロジェクトへの勢いを持続させることができます。
まとめ:未来を共創するデザイン思考の力
本事例は、大手企業が持つリソースと、固定概念を打ち破るデザイン思考を組み合わせることで、複雑な社会課題に対して持続可能かつ革新的な解決策を生み出すことができるという強力なメッセージを示しています。単なる社会貢献に留まらず、新たな事業価値を創出し、従業員のエンゲージメントを高め、最終的には企業文化そのものの変革を促す可能性を秘めているのです。
皆様の組織においても、デザイン思考は、既存の枠にとらわれずに未来を共創するための強力な武器となり得るでしょう。この事例が、皆様が社会課題解決への一歩を踏み出すきっかけとなり、そのための具体的なアプローチとしてのデザイン思考の価値を再認識する一助となれば幸いです。